黒木知宏、戦力外通告。


それは、マリサポにとって最も危惧していた事案であり・・・・。
しかしもうそれは避けられない事態になってしまった。
プロ野球は慈善事業ではない。それは分かり切っている。
いつまでも2軍でしか投げられない投手をいつまでも雇っているわけには行かない。
新たな戦力が生まれる時、裏ではひっそりとプロの世界から身を引く人間は毎年ごまんと
居るのが現実。
活躍する選手の裏ではチャンスもなく辞めていく選手が居るのはプロではよくある事。
ただ、今この現実が俺達にとって「とても悲しいニュース」であることは間違いないし、
この先もどの程度まで受け止められるのか些かの不安はある。
球団に対する不信感がないと言えばそれはウソになるし、もっと言ってしまえば
吉井が投げるならジョニーも投げられるだろうと、ずっと思っていた。
小宮山だってあの年で中継ぎとして立派な戦力になっている。
ジョニーにはその1イニングさえも押さえる事が出来ないと言う現場の判断なのだろうか。
ロッテの後期・暗黒時代を知る選手を見切ってしまうと言うこのニュースは
色んな意味で1つの時代が終わった事を如実に表しているのではないだろうか。

忘れもしない、1998年7月7日。
この日70年というプロ野球の歴史上初めて、17連敗を記録したあの日。
グリーンスタジアム・神戸で行われた対オリックス戦でハービー・プリアム
に2アウトから打たれた同点2ラン。
黒木の後を継いで登板した近藤が広永に打たれたサヨナラ満塁ホームラン。

16連敗までソコソコ僅差で負けておきながら新記録達成の試合では派手に負けてしまい
試合後にはそのプリアムに「アイツ、泣いてるぜ」とまで言われる始末。
新記録は18連敗まで伸び、未だに日本記録として残っている。
この記録というのは確かに汚点だ。弱い球団が積み上げてしまった黒星の連続。
これを汚点と言わずして何が汚点だろうか。
これについては言い訳のしようがない。
だが、俺達はこの記録をむしろ誇りに思っている。
この悔しい思いをしたからこそ、今のマリーンズがあるのもまた事実なのだ。
負けても負けても勝とう立ち向かう姿・・・。
日本記録を更新した試合の黒木の姿を見て、感動した人も多いと思う。
特にプリアムに打たれた後マウンドでうずくまる黒木の姿は、恐らくロッテファン
でなくてもプロ野球を見る者、スポーツの厳しさを知る者達にとって「野球とは」
という何かしらを感じる事が出来たのではないだろうか。
そしてその時の勝ちに向かっていく姿勢は、今の「俺達の誇り」と言う一文に
ファンの思いの全てが凝縮されている。

今の歌われる応援歌「俺達の誇り」もこの時に作成された歌である。



俺達の誇り 千葉マリーンズ
どんな時も 俺達が ついてるぜ
突っ走れ 勝利のために
さあ行こうぜ 千葉マリーンズ
ラーララーラーラーーラーー

その黒木が、球団から「戦力にならない」と言われてしまう余りにも辛すぎる現実。
仕方がない、仕方がないとは思いつつもやはり何処か納得出来ない感じと何とも
やりきれない残念感が心に残る。
これはこの先もずっと消える事はないだろう。
今はただ、この先も何処かで外野まで聞こえてくる叫び声を上げながら渾身の
ストレートを投げ込む黒木を見せてくれるのではないかという淡い期待をするしかない。
彼にとって故郷・宮崎から遠く離れた千葉で過ごした13年間というのは一体どういう
意味を持つのだろう・・・。

登板199 勝利76 敗戦68 セーブ1 投球回数1207・1/3 奪三振877 防御率3.44

こうしてみると大して普通の投手と変わらぬ成績のように見える。
が、登板した199試合全てが「魂の記憶」として俺達の中に生き続けるだろう。
199試合の全てが真剣勝負であった事は疑う余地はない。
「俺達の誇りは魂のエース・黒木知宏」なのだから。
あの日プリアムに投げた146キロのストレートはマリーンズの宝にしていかなければ
ならないし、あの日の記憶は俺達が死んでも永遠に残っていくだろう。
黒木が去っても、黒木の残した魂は千葉ロッテの宝なのだ。

いつまで経っても訛りの抜けない純朴な九州男児が、今年千葉を去る。