八木裕、引退。

いつもはロッテのネタばかりなのでたまには阪神のネタをやります。

先日、阪神八木裕選手が現役生活にピリオドを打ち、第二の
人生をスタートさせました。

80年代後半から90年代前半までの短い期間ではありましたが、
レギュラーを張っていた頃は豪快なスイングと希な長打力で
低迷期のタイガースを和田豊と共に盛り上げてくれました。

ただ、レギュラーの時はお世辞にも勝負強いバッターとは言えず、
チャンスでは度々凡退し、本塁打こそ3年連続20本打ったりして
ましたが打率に至っては.270を越えたシーズンは一度もなく、
得点圏打率も.200位、打点は60ソコソコしかありませんでした。
それでもファンは八木に頼るしか無いほど当時のタイガースは
弱体化していて、「誰が監督やっていても同じ」状態と相次ぐ主力
の故障、フロントの連れてくるダメ外人・・・・。
それでも他のメンバーとと共に孤軍奮闘していました。
彼が本当の輝きを放ち始めたのは1997年の代打生活が始まって
以降のことです。
それまで代打の切り札として活躍していたのは真弓明信でしたが、
それに変わって切り札となり、代打での打率が4割を超えるなど
細かい説明は不要なほどの活躍ぶりでした。
2003年、入団して17年目にして初のリーグ制覇。
全国に虎フィーバーが再び巻き起こり、大阪の街は阪神一色。
日本シリーズでは負けてしまいましたが、この年の八木は一番
輝いていました。

そして迎えた2004年10月10日、阪神甲子園球場
今シーズン限りで現役引退を表明していた八木の引退試合
おこなわれました。
長男の亮介くんに投げて貰う始球式でバッターボックスに入った
あと、8回1アウトから代打で出場。
代打の神様・八木が、現役最後の打席で残した結果はライト前
ヒットでした。
その瞬間起こった地鳴りのような歓声が今も忘れられない・・・。


18年という長きに渡りタイガースを支えてくれて本当に有り難
かったです。

そのうちまた指導者として阪神に戻ってきてくれるでしょう。
いや、戻ってくる、絶対に。
そのころは多分愛弟子・鳥谷が本格化していることに期待して。